12.19
坂ノ途中の研究室 小松 光さん
野菜を届けて、100年続く社会をつくる
京都を拠点に、「100年先もつづく、農業を。」というメッセージを掲げ、農薬や化学肥料不使用で栽培された農産物の販売を行う株式会社坂ノ途中を訪問し、研究者として働く小松光さんにお話を伺いました。
小松さんが所属する坂ノ途中の研究室には現在7人が所属しています。研究者やシンクタンク出身者、マーケターなど、さまざまなバックグラウンドを持つメンバーが集まっていますが、その中でも国内外の大学や世界銀行などで研究者として活躍してきた小松さんは、ひときわ異色な存在です。
どのようなお話を伺えるか楽しみにしながら取材に臨みましたが、小松さんの人柄や思い、考え方すべてに引き込まれ、あっという間に時間が過ぎました。私たちが日常的にあまり意識することのない「食べること」や「生きること」について、少し客観的な視点で考えながらお読みいただけると嬉しいです。
小松 光さん
東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。大学・研究機関(東京大学、九州大学、京都大学、台湾大学など)で教育・研究に従事。世界銀行、国際連合教育科学文化機関などのアドバイザーも務めた。2023年9月に坂ノ途中に入社。坂ノ途中の研究室で、今起こりつつある社会の変化を文明論的に考えている。国立台湾大学理学研究院の兼任准教授も務める。
坂ノ途中の研究室
坂ノ途中では、一般消費者に野菜をサブスクリプションで届けるほか、飲食店やスーパー等への卸売も手掛けています。また、自然環境に配慮した環境負荷の小さな農業の普及を目指し、収穫量の予測や市況などデータを駆使して生産者を支援して、有機農業で「稼げる」仕組みづくりに取り組み、現在は約400軒の生産者と取引しています。2023年には、経済産業省が新設したインパクトスタートアップ育成支援プログラム「J-Startup Impact」に、国内外の農業分野におけるイノベーションを牽引するスタートアップとして選定されました。
そして、「坂ノ途中の研究室」は、持続可能な農業と社会の実現に向けて、組織的な社会変化を起こしていくための部署です。坂ノ途中は持続可能な農業と社会を作ろうとしていますが、自社で出来ることは限られていると考え、志を同じくする生産者や企業、行政などと協力しながら、どうやってより大きな社会変化を起こすかを研究しています。
この目的に向けて、全国の有機農家を対象にした大規模なアンケート調査の実施と分析、生産者とともに情報交換し合い、学びを深める場である「サステイナブルファーマーズラボ」の開催、「有機農業白書」をはじめとする各種レポートの作成や情報発信を行っています。
大学教員から坂ノ途中へ
小松さんが坂ノ途中に入社したのは、2023年9月のことです。それまで仕事をしていた台湾から日本への帰国を考えていたとき、大学や研究所の求人の中に、坂ノ途中の求人募集を見つけました。「坂ノ途中」とは何だろうと調べると、野菜の宅配をしている会社だということが分かり、「野菜というメディアを通じて人々の価値観に働きかける会社ではないか」と自身のライフワークとの重なりを感じたそうです。そして、一般企業で働いた経験が全くなかったにもかかわらず、あまり深く考えずに入社を決断しました。現在は、滋賀県の自然豊かな地域に住み、リモートワークを中心に京都のオフィスには週1、2回のペースで出社する働き方で、生活も充実しているそうです。
「仕事の始まりにタイムカードを押すのも新鮮だった」と話す小松さんは、大学と一般企業での時間軸の違い、大学教員と会社員の働き方の違いなどにギャップを感じながらも、それ自体をまるで実験のような感覚で楽しんでいます。そこには、「自分が見ている世界の外側を知りたい」という小松さんの思いがあります。
入社してすぐに取り組んだのは、有機農業を巡る市場環境や課題を分析した「白書」の出版です。わずか3か月で、他のメンバーとともに「有機農業白書Vol.0」を発刊しました。同じことを大学でする場合には、専門家を集めて議論を尽くし、数年かけて発刊に至ります。小松さんは、企業のスピード感に驚いたそうです。
その他にも、農業分野における調査や企画(奈良県三宅町)、オーガニック農業者への研修・育成事業(滋賀県)など、新規就農者を支援するための行政との連携事業や、消費者向けの連載記事「食事から考えるやさしい環境学」の執筆などに取り組み、生産者や流通業者、行政、消費者といった有機農業に関わる人々や関心のある人々に向けて、さまざまな形で行動変容や意識喚起を促しています。
「みんなが一緒に動かないと社会は変わらない。有機農業白書は、それを実現するためにそれぞれのプレイヤーが何をすればよいかまとめたものです」と小松さんは話します。
専門分野は自然科学と教育
小松さんの環境への興味関心は小中学生の頃には芽生えていました。小学生の頃は、沼から水を汲んできて微生物を観察するような少年で、「微生物はいないと困る存在であり、人間はほかの生物がいないと生きられない」と悟ったのは14歳の時です。
環境への興味から大学は自然科学系を専攻し、森林と水の研究に没頭しました。研究自体は楽しくしていたものの、次第に「自然科学は人間が何でも解決できるという信念がベースになっている。これを突き詰めても人間の行動が変わることはないのでは」と従来の科学的な考え方に違和感を覚えるようになりました。
図.近代の価値観では、人間は自然の上にあり、自らの要求に合わせて自然を利用します(a)。一方、近代以前の日本や東アジア諸国の価値観では、しばしば、自然と人間の間に階層性はなく、人間は自然に自らの要求を出しつつも、自然の摂理に適応する存在でした(b)。坂ノ途中の「有機農業白書Vol. 0」より引用。提供:坂ノ途中
そこで本格的に足を踏み入れたのが哲学です。その頃、小松さんはすでに大学教員としてのキャリアを積んでおり、30代になっていました。哲学を深める中で、小松さんは、人間の行動には合理性があり、それがその時代ごとの価値観に基づいていることに気づき、社会を変えるためには価値観そのものを変える必要があると考えるようになりました。歴史を振り返ると、さまざまな価値観が存在し、いくつもの変遷を経て、現在の価値観が主流となっています。小松さんは、「それがさまざまな環境問題につながっていること、そして環境にあまり負荷をかけない価値観があることもわかりました」と語ります。
価値観の重要性に気が付くと、次に浮かんだ疑問は、「どうすれば価値観を変えることができるのか。現在の価値観が主流になった理由は何だろう」ということでした。そこで行きついたのが教育です。近代化を推進し、人の心を入れ替えたのが教育だとしたら、今度は教育の在り方を変えることで少しずつ人々の行動が変わっていくかもしれないと考えました。
それから10年近く、小松さんは仲間とともに、科学や技術に偏りすぎず、他の教育の要素も取り入れるよう教育の変革を働きかけてきました。具体的には、教育学の学術誌に論文を発表するだけでなく、その結果をもとにワシントンポストなどのメディアに寄稿し、教育大臣や環境大臣をはじめとする国際的な会合でレクチャーを行うなどしました。国内では新書を執筆し(小松・ラプリー『日本の教育はダメじゃない』ちくま新書)、文部科学省の審議会でも講演しました。こうした活動の結果、次第に変化が感じられるようになり、2021年の末、ついに国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏が「現在の教育は果たすべき役割を果たしていない」と宣言するに至りました。
小松さんは自然科学と教育の両方に深い知見を持つ貴重な人材として、世界でも注目されています。その一例として、世界銀行の高等教育プロジェクトでカンボジアの教育・産業振興に携わっています。カンボジアでは外資系企業が多いため、高学歴の地元住民が働く場所を見つけるのが難しく、スタートアップに活路を見出しています。このプロジェクトには、現在も坂ノ途中を通して関わっており、坂ノ途中というスタートアップでの経験が支援に生きているそうです。
野菜の宅配と教育の意外な共通点
坂ノ途中では季節や自然のサイクルを感じてもらうことを大切にしています。化石燃料で加温された温室で育てる野菜は、温室効果ガスを過度に排出してしまうため、坂ノ途中では扱いません。例を挙げると、加温された温室で育てられた冬のトマトは、露地栽培の夏のトマトと比べて、何と10倍もの温室効果ガスが出るそうです。
お客様には定期的に箱詰めされた野菜が届けられます。ただし、お客様が希望した野菜が届くわけではなく、その時期に収穫された野菜の中から、ボリュームや彩り、どの野菜を主役にするかをITツールも使って検討し、最適な組み合わせが決まります。それでも季節ごとに偏りが出て、例えば冬になると大根やかぶらが連続して届くこともあります。「ある意味、お客様に対してチャレンジしているんですよね」と、小松さんは笑顔で語ります。
小松さんが大人の価値観や行動変容に直接働きかけることを考えはじめたのは、台湾大学でのある留学生との出会いがきっかけでした。台湾大学に在職中は、世界中から集まる学生に対して教育変革の重要性を伝え、学生からの反応もよく、満足していたそうです。ところが、ある時、ドイツ人留学生に「子どもが大人になるまでには時間がかかる。その間、社会を放置しておくのか?」と問われたことにより、大人の価値観を変えることに意識が向き始めました。
小松さんいわく、野菜は「教材」のようなものです。大根を連続してお届けすることになっても、上部と下部では味が異なることを伝えたり、それに合ったレシピを提供したりすることでお客様に楽しんでもらいます。また、季節や天候による野菜の味わいや見た目のブレも受け入れてもらえるよう、野菜にメッセージを添えています。これは、自分の欲望で自然を利用するのではなく、自然のサイクルに自分自身を合わせること。小松さんは、流通業者でありながら、価値観に影響を及ぼすという点では、野菜を届けることは教育活動に近しいと感じています。
自然のサイクルの中の自分を感じてもらう
坂ノ途中のお客様は「100年先もつづく、農業を。」というメッセージに共感し、さまざまな野菜に挑戦してみたいという好奇心旺盛な人が多いため、同業他社に比べてサブスクリプションの解約率が低くなっています。
小松さんもまた、このメッセージに共感し、坂ノ途中を自身のフィールドとして、100年続く社会をつくりたいと考えています。「地球に負担をかけず、ほかの生物に敬意を払いながら共存する」ために大切なのは「自己の捉え方」です。自己を個として主張し過ぎず、風景や祖先も含めた広い視野で自分を捉えれば、自ずと行動が変わるはずだと語ります。
季節性や多様性を感じる暮らしは、もともと日本人などの東アジアの人々が得意としていたものです。小松さんはそのような暮らしを取り戻すことが出来ると信じています。野菜の宅配を通じて、自然のサイクルの中の自分を感じてもらうことは、些細なことかもしれません。それでも継続することで、無意識のうちに少しずつ変化が現れ、明るい未来につながると考えています。
小松さんは、坂ノ途中で働く中で、100年先を見据えた長期的な社会変革を掲げながら、企業として今の社会で利益を確保して生き続けることの難しさと面白さをを感じています。そして、大学や教育機関にいた時とは異なるアプローチで、小さな社会実験を繰り返しながら、人々や社会に働きかけることを続けています。
日本の食育が世界に広がる可能性
日本の食事は、動物性脂肪の摂取量が少なく、野菜や穀物をたっぷり摂るため、世界的に「健康食」として注目されています。肉の摂取量は欧米と比較すると圧倒的に少ない一方、日本人の平均寿命は長くなっています。牛やブタなど食用家畜の生産には、大量のえさを必要とするため、植物の生産に比べて環境負荷が大きくなります。小松さんは、世界全体で肉の摂取量を減らし、できるだけ季節の露地栽培のものを食べるようにすれば、食糧難の軽減や温室効果ガス(CO2)の排出削減、生物多様性の保全につながると考えています。
ユネスコをはじめ、世界でも環境負荷の低減と持続可能な社会の実現のために、食育に対する関心が高まっています。小松さんは、「日本から発信できることはたくさんある」と語ります。日本を含む東アジアには、食育の長い伝統があります。日本では、料理を作ることや食事をいただくことを修行と捉える仏教(特に禅宗)の考え方が、小中学校の給食や食育の基礎に使われており、私たちは食べ物に対して感謝するように教えられています。こうした考え方は、西欧圏ではあまり見られず、食べ物に対して感謝するような教育もまだまだ少ない状況です。小松さんは、国際的な場で日本のケースを紹介すると興味を持ってもらえることが多いと実感しているそうです。
国内外を問わず、環境に配慮した生活をしたいと思っていながらも、どうしていいかわからない人たちも多いはず。長い伝統を持つ日本の食育、そして、その延長線上にある坂ノ途中のサービスは、世界に対してメッセージを発するのに大いに役立ちそうです。
お話を伺って、一見、異色に思える小松さんと坂ノ途中の組み合わせには、実は多くの共通点があり、これからも数多くの面白いイノベーションが生まれるのではないかという期待を抱きました。私たちが当たり前に思っている食生活や買い物の方法も、気が付いたらガラリと変わっている、なんてこともあるかもしれません。
株式会社坂ノ途中
季節のお野菜を詰め合わせた「旬のお野菜セット」を中心に、環境負荷の小さな農法で栽培された農産物や加工品を販売。少量で不安定な生産でも品質が高ければ適正な価格で販売できる仕組みを構築することで、環境負荷の小さい農業を実践する生産者の増加を目指しています。
代表者:小野 邦彦
本社所在地:京都市南区上鳥羽高畠町56
設立日:2009年7月21日
資本金:50百万円
会社URL:https://www.on-the-slope.com/corporate/
京都市「これからの1000年を紡ぐ企業」、経済産業省「地域未来牽引企業」「J-Startup Impact」など、受賞多数。