2025
03.06
JALマークを背景にチーフの衣装を身にまとい、笑顔の日髙さん

JALふるさとアンバサダー 日髙 奈穂さん

PERSON

空の仕事から地方創生へ。JALふるさとアンバサダーが築いた地域との絆

近年は、業種を問わず、さまざまな企業が地方創生に力を入れています。日本を代表する航空会社の日本航空株式会社(以下、JAL)も例外ではありません。

JALでは、2020年より、JALグループの知見や異業種連携を通じて、地域のさまざまな課題に取り組む「JALふるさとプロジェクト」を実施しています。その取り組みの一環として、「JALふるさとアンバサダー」や「JALふるさと応援隊」といった現役の客室乗務員が地域事業に携わる活動もスタートしています。

今回は、2022年6月に奈良県、和歌山県のアンバサダーに就任し、2年間さまざまなプロジェクトを通して地域との関係性を築いてきた客室乗務員の日髙さんにお話を伺いました。企画立案、営業、PR、取材執筆、ラジオ出演、マナー講座まで、多岐にわたるアンバサダーの仕事の中で、印象に残ったプロジェクトやそこにかける熱い思いをご紹介します。

日髙さんの声には、終始強い意志と熱意が込められており、その情熱が伝わってきて、すっかり虜になりました。地域との関わり方を改めて考えさせられるインタビューで、地方創生に取り組んでおられる方、地域との関わりを求めておられる方には、是非お読みいただきたい内容です。

JAL機体の模型を背景に語る笑顔で語る日髙さん
ふるさとアンバサダーにかけた思いを語る日髙さん

客室乗務員が地域活動に取り組む、JALふるさとアンバサダー

「JALふるさとアンバサダー」は、現役の客室乗務員が一定期間就任する制度で、2020年8月にスタートしました。客室乗務員がゆかりのある土地に移り住み、地域の人びととの関係性を築きながら、自治体や生産者らと一緒に地域のさまざまな課題解決に取り組みます。

現在は、タイと台湾の海外拠点から来たグローバルアンバサダー2名を含む、計22名の客室乗務員が全国各地に移り住み、イベント企画や商品開発、情報発信等を通して、地域活性化に携わっています。日髙さんは、2023年6月に関西拠点のふるさとアンバサダーに就任しました。当時、募集が出ていた地域は北海道支社と西日本支社で、奈良県出身の日髙さんは、迷わず大阪を希望しました。

「出身地に限らず、大学時代にいたことがある、好きな町だという理由でも良いのです。ゆかりがある町と指定されているのは、思いを持って働いてほしいという会社からのメッセージだと考えています。ご縁があることで地域の方にも心を開いていただきやすく、実際に私も自身の出身地を伝えると、『じゃあ何か一緒にやろう』と言われ、スムーズに進んだ経験があります」と日髙さんは語ります。

奈良県・和歌山県のふるさとアンバサダーとしてのスタートを切る

大阪支店の担当エリアは、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県の1府3県です。ふるさとアンバサダーが2人いたため、4府県を分担し、日髙さんが奈良県と和歌山県を担当することになりました。

出身地とはいえ、長らく東京で生活していた日髙さんにとって、奈良県や和歌山県の自治体職員や生産者らに知り合いがいたわけではなく、関係づくりから取り組むことになりました。営業担当の上司に志願して出張に同行したり、地元の幼馴染を頼って自治体職員につないでもらったりと、地道な努力を積み重ねました。

営業はもちろん、実は名刺交換自体もはじめての経験でした。客室乗務員の仕事は、柔軟な接客対応が求められる一方で、人命を預かるため、細かく定められたマニュアルや基準を厳守しなければなりません。ところが、ふるさとアンバサダーにはマニュアルがなく、自分で判断して行動する必要があります。営業的な思考や判断基準がわからず、仕事の進め方も大きく異なる「営業職」にはじめのうちは戸惑いを覚えました。しかし、がむしゃらに動いているうちに、1、2か月もすると、慣れたとは言えないまでも、自然と毎日が忙しくなっていきました。

観音山フルーツパーラーのシェフとオリジナルプレートについて思案する日髙さん
地域とのつながりが生まれると、毎日が忙しくなった(提供:日本航空)

空港がない奈良県にJALファンを増やしたい

日髙さんは、アンバサダーに就任する際、単身赴任で関西に移り住みました。実は、アンバサダーになる前から、「JALふるさと応援隊」の一員として地域イベントや地域産品のPR活動に参加しており、地域活動に強い関心を持っていました。ふるさと応援隊の経験を通じて、地域にもっと深く関わりたいという思いが強くなり、応援隊のような短期間の活動ではなく、実際にその地域に住み、地域に根ざした活動ができる「JALふるさとアンバサダー」に応募したのです。

日髙さんの地域活動の根底には、「JALが大好きで、JALのファンを増やしていきたい」という強い思いがあります。日髙さんがJALに就職を決めた一番の理由は、飛行機に搭乗した際や採用試験で面接を受けた際に、JALの社員の温かさや親しみやすさに強く魅力を感じたからです。航空会社に限らず、複数の企業を受けた中で、JALで働く人の笑顔や心のこもった対応が一番印象に残り、「ダントツで魅力的」だったと語ります。

入社してからは、自身が「JALの人の温かさ」を体現する側となり、客室乗務員として毎日乗客一人ひとりに向き合ってきました。そして、地域活動においては、その思いに加え、生まれ育った奈良県に恩返しをしたいという気持ちもあります。日本には空港がない都道府県が10か所あり、奈良県もそのうちの一つです。JALとの縁が少ない奈良県だからこそ、JALの取り組みを知ってもらい、親しみを持ってもらいたいという思いを持っています。

トウモロコシ畑で採取する日髙さん
ふるさとアンバサダーの活動中も笑顔を絶やさない(提供:日本航空)

真夏にサイクリングロードを駆け巡る

アンバサダーに就任してはじめての大きな仕事は、和歌山県南部の熊野エリアを反時計回りで一周する「クマイチ」サイクリングロードのPR活動です。クマイチは、世界遺産や豊かな自然を巡る全長230㎞の本格的なコースです。この地域を巡るサイクリングコースの中では最も距離が長く、高低差も大きいのが特長です。

クマイチのPR事業では、熊野エリアでレンタサイクル事業「KUMICH(クミッチ)」を運営する一般社団法人紀州くちくまの未来創造機構と一緒に、クマイチを巡るファムトリップ(※1)を実施しました。その際、「客室乗務員の日髙さんでも走れる」ことをアピールするために、日髙さん自身も参加することに。JALグローバルアンバサダーや台湾サイクル協会の担当者とともに、計6日間をかけて「クマイチ」を走り切りました。

透き通るようなブルーの海と空を背景に、自転車にまたがる日髙さん
全長230㎞の「クマイチ」を自転車で駆け抜けた(提供:日本航空)

時期は真夏の8月です。日髙さんにとって長距離のサイクリングははじめての経験でした。電動自転車とはいえ、アップダウンのあるコースを長時間乗り続けると、かなりの体力を消耗します。しかし、日髙さんは笑顔で無事に走り切り、公開されたPR動画の機内エンターテーメント視聴率は67%(約37万人が視聴)と大きな反響を呼び、同年12月の南紀白浜線の旅客数は約55万人にも上りました。

その後、フライトを含む乗換案内の検索や、地上交通のチケット手配ができる「JAL MaaS」がKUMICHの連携先となり、日髙さんは2024年度も引き続き、「クマイチ」アンバサダーとしてモデルコース造成に携わり、PR活動を続けています。

アンバサダーの任命書を受け取る日髙さん
アンバサダーに就任し、クマイチの魅力を伝える活動を続ける(提供:日本航空)

アンバサダーの仕事は、サイクリングに限らず、とうもろこしの収穫や熊野古道ウォーキングなど、体力が必要な場面がたくさんあります。その上、地域との関係づくりから、企画立案、提案、事業の推進、PR活動まで携わり、一人で何役もこなさなければなりません。そのタフさに驚いていると、日髙さんは、「何でもやります。クルーは体力のある人が多く、何にでも挑戦する人が多いんですよ」と力強く語ってくれました。

一から企画して実現した銀座クリスマスイベント

企画立案からすべてを担当した一つ目の仕事は、観音山フルーツパーラー銀座店で実施した、クリスマスイベントです。和歌山県に本店を置く観音山フルーツパーラー、アドベンチャーワールドと協力し、和歌山県の特産品である、まりひめ苺、富有柿、みかん(小粒ベイビー)を使用したデザートプレートをシェフと一緒にメニュー開発し、2日間限定で提供しました。

JALのブランディングの観点でデザインには制約があり、思いのままに形にできないジレンマを感じたこともありました。それでも試行錯誤して、空港の滑走路をモチーフに取り入れたオリジナルプレートに仕上がりました。自らが企画した事業が形になったことはとてもうれしく、やり遂げた時の達成感は大きかったそうです。

観音山フルーツパーラーのシェフと一緒に、出来上がったオリジナルプレートの前で笑顔の日髙さん
フルーツとパンダで和歌山らしさを表現したデザートプレート(提供:日本航空)

イベント当日には、実際のフライトを体感できるように店内で和歌山県をPRする機内アナウンスを流しました。お客様からは「和歌山県に行きたくなった」という声が聞かれ、好評でした。また、連携先の地元の方々も「日髙さんと一緒にやってよかった」と、とても喜ばれたそうです。

2年越しで実現した赤いとうもろこしのパックごはん

奈良県宇陀市で、株式会社類設計室の農園事業部(類農園)と一緒に開発した、日本初の品種である赤いとうもろこし「大和ルージュ」を使用した有機パックごはんの開発は、日髙さんの中でも最も思い出深いプロジェクトの一つです。

この事業は、ふるさとアンバサダーの任期を一年延長することになった理由の一つでもあります。一年目を終えて、延長するかどうか問われたとき、当初は延長しないことに決めていました。二年目は、一年目以上の結果を期待されることについてのプレッシャーも感じていたと言います。ところが、最終回答期限のわずか10分前になって、東京に戻るという決断を覆し、「やっぱり、続けます」と二年目の継続を決めました。その背景には、一年目から取り組んでいたパックごはんのプロジェクトの存在がありました。

パックごはんのプロジェクトでは、途中で何度も挫折を味わいました。食品を扱うため、社内の厳しい規制をクリアするのに時間がかかり、商品が完成し販売直前になって価格設定を変更せざるを得なくなるなど、困難なことが続きました。ともにプロジェクトを進める関係性であっても、JALと類農園では立場が異なります。社内調整に時間がかかったり、先方の求めるものを自社が実現することが難しかったりと順調に進まない場面も多くありましたが、失敗から都度学び、予め先回りしてリスクを回避したり、余裕をもって進められたりするようになりました。

日髙さんの熱意が先方にも伝わって信頼関係が生まれ、「生みの苦しみはあるけど、日髙さんとなら乗り越えられる」と言われるまでになりました。難しい条件を先方に話さなければならないときも、「何とかします」と言ってもらえました。事業を通して、日髙さんが感じたことは、長い時間をかけて構築した人間関係の絆の強さです。一期一会のお客様との関係づくりも大切ですが、それとはまた違った関係構築もあるということに気づかされました。

器に盛った大和ルージュのごはんとパッケージ、赤いとうもろこしが並ぶ
2年越しのプロジェクトで完成した一押し商品(提供:日本航空)

チーフとして空に戻る

日髙さんはアンバサダーの任期を終えると、チーフとして客室乗務員に戻ります。制服の白いジャケットはその証です。チーフは一機に一人だけという、ほかのクルーを統率する責任のある立場です。アンバサダーの任期を終えることに寂しさを感じながらも、「しっかりと証を残せた」ことで達成感を持って、空の仕事に戻れそうです。

アンバサダーの任期の間に交換した名刺の数は、積み上げると30cmを超えました。目下は、次期アンバサダーに自身の取り組みを良い形で引き継ぎながら、さらに大きく膨らましてもらいたいと思い、最高のバトンタッチができるように準備を進めています。そして、客室乗務員に戻ってからは、アンバサダーでの経験を通じて学んだことをほかのクルーにも伝えていきたいと考えています。長い時間をかけて人間構築を築くことで得られたものをどのようにしてクルーの育成につなげていくか、思いを巡らせているところです。

日髙さんの地域の懐に深く入り込み、熱い思いをもって取り組む姿勢は、日髙さんの上司で、地域事業グループマネジャーの甲斐弘之さんも評価しています。県の職員には「なほちゃん」と愛称で呼ばれるほど親しまれ、任期満了に当たっては、送別会が開かれるほど惜しまれています。「そのぐらい皆さんに感動と思いを残していったことは、すごいことだと思います」と甲斐さんは語ります。

チーフの証である白いジャケットを身にまとう日髙さん
アンバサダーとして培った経験を糧に、未来への夢が広がる

今回はJALの地域活動を取り上げ、「ふるさとアンバサダー」の日髙さんに焦点を当てて、具体的な取り組みをご紹介しました。空の上でも地上でも、人と向き合う姿勢を大切にされている日髙さんのお仕事ぶりから、多くのことを学ばせていただいたように思います。創意工夫が必要な地域活動において、「誰と仕事をするのか」は特に重要なポイントかもしれません。

(※1)インフルエンサーによる発信や旅行造成などを目的とし、旅行費用の一部を負担することを条件としたモニターツアーの一種