12.12
オオウエ 大上 陽平さん
和紙の可能性を広げる、和紙問屋4代目の挑戦
今回は、大阪の天王寺区で1948年に創業し、長年にわたり和紙と向き合ってきた和紙問屋「オオウエ」の社長、大上陽平さんにお話を伺いました。オオウエの本社は、聖徳太子が建立した日本最古の仏教寺院の一つである四天王寺のすぐ傍にあります。
近年の和紙業界は厳しい状況にあり、廃業が相次いでいます。和紙問屋も例外ではなく、全国に20~30社程度にまで減少し、現在も大阪で和紙問屋を専業として営んでいる企業は数社のみです。大上さんは、人々の生活様式の移り変わりとともに大きく変化した和紙業界で、和紙の新たな可能性を探り、現代における和紙の再定義に取り組んでいます。
この記事を通して、大上さんの挑戦を知っていただき、現代における和紙の価値や定義についても思いを巡らせていただけたら嬉しいです。
和紙問屋の4代目として
大上さんがオオウエに入社したのは5年前、33歳の若さで社長に就任したのは2年前のことです。大上家の次男として生まれ、幼少期には祖父の羽振りの良さや、四天王寺のお大師さん(毎月21日のお参りの日)に祖母の露天商を手伝った記憶があり、四天王寺で代々紙の商売をしているという感覚はありました。
中高生ぐらいになると、洋紙が台頭し、大上家でも和紙文化の衰退を感じるようになりました。大上さんとその兄は、両親から「家業を継ぐ必要はないし、好きなことをやりなさい」と言われて育ちました。そのため、家業を継ぐことは決まっていませんでしたが、「将来は継ぐことになるかもしれないし、印刷や製本を勉強すれば、和紙にも生かせるかもしれない」と思い、大学卒業後は凸版印刷に入社しました。そこで、営業として企業のチラシやパンフレットの企画を担当したほか、動画やWebなどさまざまな広告の制作にも携わりました。
その頃、大上さんの兄はオオウエに入社し、自社ブランド「和紙田大學」の立ち上げやオンラインショップ「うるわし」の開設を行い、BtoC分野を開拓していました。兄の挑戦する姿に刺激を受け、「家業に携わる前に色々な経験をしておきたい」と考えた大上さんは、入社5年目で一念発起し、インドの会計法務事務所に転職しました。学生時代にバックパッカーで国内外を巡っていた大上さんの視点は海外にも向いており、和紙の海外展開もこの頃からぼんやりと考えていたそうです。
インドでの生活も2年が経ち、大上さんが日本に帰国して再就職を考えていた時、入れ違いで大上さんの兄が海外留学に旅立つことになりました。兄が自由な生き方を好むタイプだったため、子どもの頃から「自身が跡継ぎになるかもしれない」と家業を意識していたものの、それまで明確な跡継ぎは決まっていませんでした。しかし、この時をきっかけに「自分が継がずに潰してしまうのはもったいない」と思い、オオウエを継ぐことを決めて入社しました。
和紙問屋は、大きく2種類に分かれます。一つは地域に密着してその地域で生産された和紙を扱う地域問屋で、もう一つは大消費地を拠点にさまざまな地域の和紙を扱う都市部の問屋です。オオウエは後者にあたり、中でも機械漉き和紙を得意としています。のし袋、和菓子の包み紙、日本酒のラベル、御朱印帳、うちわ、扇子、障子紙といった製品の原紙を主に扱ってきました。
入社当初は「和紙とは何か」を思い悩む
和紙の種類は想像以上に多様です。漉き方、色や模様、厚みの違い、簀(す)の目の有無など、組み合わせで何百通りもあり、各メーカーや問屋が用意したカタログの分厚さには驚かされます。その中には、彩り豊かで華やかなものもあれば、和紙とは思えないほど真っ白で、表面がつるつるとしたものもあります。
大上さんも入社後に、見た目には洋紙と区別がつかないような機械漉きの和紙を見た時に戸惑いを覚えたそうです。海外の商談会でバイヤーに和紙について問われて説明の難しさを感じたり、営業をしながら「和紙とは何か」について思い悩んだりした時期もありました。
隣の芝生が青く見え、和紙以外の商材を扱ってみようかと考えたこともあります。しかし、事業に向き合うほどに和紙の魅力の奥深さを感じるようになり、また、オオウエのアイデンティティや強みも結局はそこにあると考えて、和紙の新しい可能性を追求することにしました。
和紙と洋紙
そもそも「洋紙」という言葉が耳慣れない方もいらっしゃると思いますので、ここで、「和紙」と「洋紙」について触れておきます。紙の製法が中国から日本に伝わったのは4~5世紀頃のこと。そこから独自の発展を遂げて和紙へと発展していったものが和紙です。古くは、麻や楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)、桑、竹などが使用され、手漉きで行われてきました。
それに対して、明治時代に西洋から伝わってきたものが洋紙です。原材料はパルプで、大型の機械を用いて大量生産に適しています。和紙よりも安価に効率よく生産できるため、日常使いの紙は、和紙から洋紙に置き換わっていきました。
ところが、近年では和紙にも洋紙にも変化が起こり、互いの要素を取り入れるようになったため、両者の区別があいまいになってきました。多くの和紙メーカーが機械漉きを導入し、主原材料にパルプを使うようになりました。また、洋紙でも製造方法を工夫して、和紙のような風合いの紙を印刷できるようになりました。和紙用の機械は洋紙のものよりもゆっくりと回転し、機械的に横揺れを入れることで和紙らしさを感じられるようにしていたり、洋紙よりも繊維の長いパルプを使ったりという違いはありますが、見た目には区別がつかないものもあります。
実は和紙と洋紙の線引きについては、業界でも悩みを抱えているそうです。2014年に「和紙 日本の手漉き(てすき)和紙技術」がユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、登録されたのは原材料に楮を使用する石州半紙、本美濃紙、細川紙の3紙のみで、未だに和紙と言えば手漉きを想像する人も多いでしょう。それでは、和紙メーカーが長年築いた技術を用いて生産する紙は「和紙」と言えないのでしょうか。
和紙の再定義は大きなテーマ
これに対して、大上さんは「和紙メーカーが生産した紙」のことを和紙と捉えています。根底には、日々の暮らしの中で多くの人に和紙を利用してもらいたいという思いがあります。そのためには、価格帯も原材料の加工のしやすさも市場ニーズとマッチしたものにしないといけません。
大上さんは、「アート作品のような一点ものの良さを追求するのも大事なのですが、それだけでは一部の方にしか取り入れていただけません。機械漉き和紙のメーカーも日々研究を重ね、進化してきています。そうした和紙メーカーが生み出す紙を『Neo-和紙』と呼んでも良いのではないかと考えています」と語ります。
また、実際にお客様のニーズを聞くと、原材料や漉き方よりも、「和風にしたい」、「高級感を出したい」、「和紙を使用することでストーリー性を持たせたい」など、デザインやコンセプトを求めているように感じています。これらのニーズに応える素材を和紙メーカーがつくれば、それは和紙と呼んでよいのではないかという考えです。
和紙は驚くほど多品種少量生産です。何トンという単位での発注になる洋紙と異なり、手漉き和紙なら1枚から、機械漉き和紙でも500kg単位ぐらいから対応が可能です。日本で生産される紙の種類の多さ、品質の高さは世界でもハイレベルだそうです。この多様で豊かな紙文化を支える重要な役割を果たしているのが和紙メーカーです。
「今こそ、和紙を再定義しなければいけないのではないか」。大上さんにはこんな思いがあります。オオウエは、76年にわたり、和紙専業問屋として様々な産地の和紙を取り扱い、ビジネスを通じて和紙と向き合ってきました。和紙メーカーとの信頼関係も構築できており、新商品を協力して研究開発できる体制にあります。「当社は、ビジネスの世界で和紙だけをやってきました。その強みを生かして和紙の新しい用途を生み出そうとしています。目指すのは、地方の和紙メーカーとの共存共栄です」と大上さんは意気込みます。
和紙の可能性を広げる挑戦
今も昔も、和紙問屋の仕事は新しいニーズを見つけることに変わりはありません。しかし、その意味合いは大きく変化しました。需要が顕在化していた以前とは異なり、潜在的なニーズを発掘したり、新たなニーズをつくり出したりすることが求められています。
オオウエが取引する地方の和紙メーカーは、長年にわたり試行錯誤を重ねて紙づくりに取り組んできたため、優れた技術と開発能力を持ち、新しい挑戦への意欲も高いのが特長です。開発事例としては、「筆なじみがよく、裏移りしない筆記用和紙」、「世界中の文化財修復に使用されている世界一薄い紙」、「廃棄されるヨシを活用して漉いたサステナブルな和紙」、「革に代わるような縫製可能で強い和紙」などが挙げられます。しかし、そうした和紙メーカーが直面している課題は、新しいニーズを開拓することの難しさです。
大上さんは、「和紙メーカーが最も喜ぶのは、新たな使い道を見つけ、お客様を連れていくことだ」と語ります。やると決めたら行動に移し、積極的に他業界とも接点を持ちながら、自らの思いを周囲に発信することで、新しいつながりが生まれ、次第に輪が広がっていきました。その結果、和紙メーカーと海外のデザイナーやブランドを結び付けるなど、新しいコラボレーションが生まれています。
和紙はアートやインテリアとの相性がよく、大上さんはその分野に力を入れています。一例では、水にも縫製にも強い茨城県産の手漉き和紙を使って、クッションをつくりました。デザインはオランダのデザイナーが担当し、染色は京都の西陣織の糸染めを手掛ける会社に依頼して、草木染めで和紙を染めてもらいました。
インテリア分野では、ランプシェードや収納ボックス、パーテーション等の開発に取り組んでいます。また、動物皮革の排除を目指すある企業から和紙に関する問い合わせを受けたことをきっかけに、和紙にはビーガンの要素があることにも注目し始めました。その他、国内の主要都市に店舗を構えるボタニカルショップの新しい化粧箱もオオウエが和紙メーカーと一緒に開発しました。
こうして人と人をつなぎ、和紙の可能性を広げることは、大上さん自身のやりがいにもなっています。サステナブルを意識して、和紙メーカーと持続的に共存できる仕組みを作り上げることを、自身の目標として取り組んでいます。
四天王寺を拠点に和紙を発信
やりたいことやアイデアがたくさんあり、エネルギッシュに活動する大上さんですが、悩みがないわけではありません。手漉き和紙を使った斬新な商品の開発を始めていますが、業界全体での生産量の多くは機械漉き和紙が占めています。オオウエの取引先の多くも機械漉き和紙を扱っています。機械漉き和紙の需要を大きく拡大させるような紙製品の開発が課題となっています。
現在の手漉き和紙を活用した取り組みが産業全体のインパクトとなり得るのか、本業の屋台骨である機械漉き和紙をどうしていくのか、リソースのかけ方にも悩んでいます。それでも「成功するには一点突破が必要だ」と思い、斬新な和紙の使い方を模索する日々を送っています。
「大阪、四天王寺がベースであることを大切にしたい」と語る大上さんは、この土地が大好きです。四天王寺は聖徳太子がお経を記した場所であり、古くから紙と縁のある地です。この場所に和紙をテーマに人々が集う「和紙ハウス」を作り、和紙文化の発信をしていきたいと考えています。
私たちの日常生活からは遠ざかってしまった和紙ですが、お話を伺っているうちに、和紙が少し身近に感じられるようになりました。業界でも飛びぬけて若い大上さんが、周囲を巻き込みながら和紙の未来を切り開いていく様子がとても楽しみです。