09.12
TANGO EXPERIENCE 八隅 孝治さん
ビーチクリーンをかっこいい職業にする!京丹後からの挑戦
今回は、海岸の清掃をして環境を保全するビーチクリーンのお話です。
日本海に面した京丹後市の沿岸部で、ビーチクリーンの事業化を目指すTANGO EXPERIENCEの八隅孝治(やすみこうじ)さんを訪ね、ビーチクリーンとの出会いや活動を通して実現したいことを伺ってきました。
八隅さんは、人あたりがよく、笑うと子どものようにいたずらっぽい目が印象的です。新しい領域の仕事をつくると意気込む八隅さんの生き方を感じていただける内容になっていますので、是非お読みください。
地域おこし協力隊として京丹後に移住
京都市内で生まれ育ち、消防士として活躍していた八隅さんが、京丹後市網野町に移住したのは5年前、33歳の時のことです。京丹後市は、八隅さんの奥さんの故郷。海が好きなこともあり、よい場所だなと思っていたそうです。
消防士を辞めて移住をすることに親族からの反対もありましたが、決断したら突き進む性格です。地域おこし協力隊の選抜に受かるとすぐに移住を決め、奥さんと幼稚園児の息子2人を連れて引っ越しました。
地域おこし協力隊では観光推進のミッションが与えられ、しばらくはその仕事に取り組みました。しかし、次第にこれでは自身も楽しくないし、地域にとっても効果が少ないと思い始め、上司に進言してレンタサイクル事業を始めます。レンタサイクルに使用する電動自転車の購入には、自らの退職金を充てました。
大好きな海にゴミが溢れている!
どんよりと曇りがちな空をイメージしてしまう日本海ですが、夏にはエメラルドグリーン(丹後の方は『丹後ブルー』とも呼ぶ)の海が広がります。
レンタサイクル事業ではツアーガイドもやっており、もちろん海のこともPRしていましたが、次第に沿岸部に流れ着くゴミの問題が気になるようになりました。ゴミの問題は年中ありますが、北西からの季節風が吹く冬は特に多くなります。漁具を中心に、ペットボトル、発泡スチロール、時には注射器など、海ゴミとは思い難いようなものまでもが流れてきます。
海がキレイ、素敵だということを伝えたいのに、実際にはゴミがたくさんあるという現実――。このジレンマに悩み、ただ美しいことを伝えるのではなく、訪れた人にもリアルを見てもらおうと、ゴミを一緒に考えるツアーを始めました。
この頃からゴミの問題に向き合い続け、より直接的に「海をキレイにすることを価値にしたい」と考えて取り組み始めたのがビーチクリーンです。
ビーチクリーンは環境問題の入口
ビーチクリーンに取り組んでいると、ゴミを拾うよりもゴミを無くすことが重要なのではないかと言われることがあるそうです。沿岸部に流れてくるゴミがなくなれば、ゴミを拾う必要がなくなりますし、拾い続けてもキリなく流れてくるゴミを見れば、そんな思いになるのも分かります。
八隅さんは、そんな声に対して、「まずは、ビーチにゴミがない状況を1日でも多く作ることが大事。そうでないと、子どもたちが海で遊べないから。」ときっぱりと答えます。ゴミが溜まると足の踏み場がなくなるほどになり、子ども達が遊ぶことも出来なくなります。ゴミの排出自体を止めることは、もちろん大切です。それでも目の前のゴミを見て素直に「嫌だな」と感じ、そのまま「ゴミを拾ってみよう」とすぐに行動に移せる人が増えてほしい。そこから、その先にあるゴミの問題や環境問題について考えてもらえたらと語ります。
八隅さんがビーチクリーンに取り組む直接的なきっかけとなったのは、同じ網野町で大正時代から続く旅館と飲食業を営む「守源旅館」のオーナー守山さんとの出会いです。ゴミの問題を考え、その思いを知人にぶつけた時に、それならと紹介されたのが守山さんでした。守山さんはサーファーで、30年来沿岸部のゴミを拾い続けてきた方です。八隅さんの話を一通り聞くと、「拾うことから始めたらいい。明日からごみを拾ってみてくれ」と言われたそうです。
八隅さんはさっそくその翌日に次男と海に行き、ゴミを拾いました。体力にも自信がある八隅さんは、ゴミ拾いをやってみて、「気持ちいい!おもしろい!」と感じたそうです。はじめは次男と自分だけで。次は、地元のおじいちゃんおばあちゃんがゴミ拾いをしている「浜掃除」に参加してみました。そうするうちに、友達が増え、コミュニケーションの輪が広がり始めました。
ビーチクリーンの団体、MOYAKOの立ち上げ
ビーチクリーンは、ネットワークが広がる、体を動かして気持ちいい、海がキレイになる、といいこと尽くしです。八隅さんはそのように感じていましたが、もともと浜掃除を定期的にしていた地元のおじいちゃんおばあちゃんたちは、ゴミ拾いなんて誰もおもしろがらないでしょうという感覚でいました。
八隅さんは情報発信して声をかければきっと人が集まると思い、仲間を集めてMOYAKO(もやこ)というビーチクリーンの団体を立ち上げます。楽しさや学びに重点を置き、誰でも参加して楽しめるように工夫しながら月2回以上は開催し、今年で4年目になります。参加は移住者や親子が多いそうですが、近くに在日米軍の通信所があるため、マッチョな兵士が参加することもあり、交流の輪が広がっています。
「実行する+見せる」で地域の理解を得る
コミュニケーションを取ることが好きで、誰とでも仲良くなれるという八隅さん。そんな八隅さんでも、京丹後に来た頃は、地域の人びとの理解を得るまでに時間がかかったそうです。地域おこし協力隊として着任したばかりの頃には、「君みたいなのが来て何ができる」と言われたこともあります。
八隅さんは、口で説明するよりも、とにかくやるしかないと思い、その通り実行しました。また、取り組みをしっかりと発信することにも力を入れました。地域で利用者の多いFacebookでの発信や、地元のケーブルテレビにも積極的に出演しました。
最初のうちは、「目立ちたいだけでは」などとの批判もあったそうですが、MOYAKOの初代代表を引き受けた守山さんが「あいつは海や町のためにしている。ただそれだけだ。」と突っぱねていました。八隅さんたちには知らされていなかったので、そのことは後から知ったそうです。そんな守山さんをはじめとする地域の先輩たちの支えもあり、まずはやってみる、それをしっかりと伝える、この繰り返しで地域の理解を得て、仲間や協力者がだんだん増やしていくことができました。
ビーチクリーンを消防士ぐらいかっこよく
「ビーチクリーンの仕事を消防士ぐらいかっこいい仕事にしたい」というのが、八隅さんの夢です。消防士の頃は、制服を着て消防車に乗っていると、地域の子どもたちが喜んで手を振ってくれました。八隅さん自身、大学生の時に出会った消防士に憧れて目指すようになりました。今度は、ビーチクリーンを同じように憧れの職業にしたいという思いがあります。
体力も必要なビーチクリーンですが、意外に体育会系は少ないそうです。八隅さんが考えているのは、ライフセービングとビーチクリーン、ゴミの資源化の仕事を組み合わせて一つの職業にできないかということ。ライフセービングやビーチクリーンは、人々が海で安心して遊ぶために必要な活動です。しかし、単独で生計を成り立たせるのは難しいため、組み合わせることで新しい働き方のモデルケースにならないだろうかという考えです。
この新しいチャレンジに向けて八隅さんを突き動かしているのは、子どもたちへの思いです。子どもたちが「あんな大人になりたい」と思えるような、野望を持ち、目がキラキラした大人。目指すのは、そんな大人がたくさんいて、子どもたちが大人になることに希望を持てる社会です。そのために、まずは八隅さん自身が強い思いを持って行動し、努力すれば夢がかなうことを証明したいと考えています。
はだしで遊べる海を未来へつなぐ
八隅さんのやりたいことは尽きません。ビーチクリーンを事業として成立させ、持続可能なものにする。その次はこの活動を京丹後で終わらせず、各沿岸部へ広げていきたいという夢もあります。仲間を増やして、全国の海ゴミを減らすことを目指しています。
新型コロナウイルス感染症による特例措置で期間が延長された地域おこし協力隊の任務も今年の11月まで。MOYAKO とは別に個人事業主としてビーチクリーン事業を営んできましたが、10月には法人化を予定しており、いよいよ自走のタイミングです。
これまでも企業研修や環境省から業務委託で受けた海ゴミ回収の仕事をこなしてきましたが、持続可能なビーチクリーン事業を目指して、企業のスポンサーメニューをつくったり、行政からの仕事を継続して受けられるように働きかけたりしていきます。法人化は同世代の心強い仲間2人が支えてくれています。
京丹後に来てから娘が生まれ、小学生になった息子と合わせて子どもは3人になりました。「はだしで遊べる海」を未来につないでいくのが目標です。